「見れど飽かぬかも」
・ 見慣れたものでも、光に映えるものの前では立ち止まってしまう。 今日は夜オケ合わせがあるが、こころは、嵐の前の静けさだろうか、却って静かになる。 光の中に生きているものたちをゆっくりと見ながら歩く。 白川静先生の言葉「… もっと読む 「見れど飽かぬかも」
・ 見慣れたものでも、光に映えるものの前では立ち止まってしまう。 今日は夜オケ合わせがあるが、こころは、嵐の前の静けさだろうか、却って静かになる。 光の中に生きているものたちをゆっくりと見ながら歩く。 白川静先生の言葉「… もっと読む 「見れど飽かぬかも」
時間が濃くなるのは年齢があるから。待った無し!との思いで練習している(自己申告)。 歌だけではない、何もかも濃い一瞬一瞬だ。 夏の終わりに吹くような風あり。葉裏を見せてそよぐ音に、白川静先生の「音なふ」を感じて亡き人たち… もっと読む 歌う時間が濃くなる
あれ?今日は、「9月9日重陽節(2015)」に訪れてくださる方が多い。あ!旧暦9月9日!と気づかせていただきました。ありがとうございます。 白川静先生のお陰で豊かな日々であると、決して大袈裟ではなくそのように感じています… もっと読む 旧暦(農歴)9月9日(2021)
なんだかものすごーくかなしい😭😭😭 いったんアップしたのに、どういう訳か中身がすべて消えてしまった。 問題は「消えた」のではなく、わたしが「消した」、ような気がする。 写真は再現できても言葉はもどらない。 だいたい覚えて… もっと読む 新暦9月9日(2021)
旧暦9月9日〈重陽の日〉を教えてくださったのは歌の師、中野照子先生。第一歌集『潮(うしお)は胸の辺りまで』の跋に〈重陽の日に〉と記してくださって初めて知った。 「登高」は、白川静先生の言葉なくしては味わえない。 「登高飲… もっと読む 9月9日重陽節(2020年)
わが国の改革論者たちが、衣服を脱ぎかえるように文字を改めうると考えているのは、一の妄想にすぎない。 文字は衣服ではなく、比喩的にいうとすればそれは皮膚であり、肉体の一部である。 内にある血と肉とが皮膚を作り出し、たえずそ… もっと読む 皮膚であり、肉体の一部である
8月の終わりを思わせるような、木の葉を揺らす風があり音がある。 白川静先生の言葉「音なひ」と亡き人たちの声は一対のようにワタシにはある。 この言葉と「遊ぶ」うちに内面がしだいに鎮まっていく。「音なひ」にはいつも魔法の力が… もっと読む 🍃風があり音がある
白川静『回思九十年』は、「私の履歴書」と「インタビュー・対談」からなっていて、どこをめくっても話す人に言葉に味わいがある。 なかでも石牟礼道子、最初に読んだときは静かな衝撃だった。 白川「あなたのよく使っておられるあの地… もっと読む 歩かねば!
たとえば『万葉』の世界は人麻呂から家持までまったく等質の世界とされて、歌における意識の形態について、なんの展開も考えられていません。しかし歴史的文化的なもので、なんの展開もないようなものは存在しないのです。 人麻呂時代の… もっと読む 読み返す『回思九十年』
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。」(10頁)(白川 静『文字逍遥』) 今現… もっと読む 緊急事態宣言発令される日