変化するにちにち

9月9日重陽節(2020年)

旧暦9月9日〈重陽の日〉を教えてくださったのは歌の師、中野照子先生。第一歌集『潮(うしお)は胸の辺りまで』の跋に〈重陽の日に〉と記してくださって初めて知った。

「登高」は、白川静先生の言葉なくしては味わえない。

「登高飲酒は、のちには重陽の節句に菊酒を酌んで命を延べる民俗となったが、古くは故郷を離れたものの魂振りの行為であった。この場合、高きに登るのは遠く譫望(せんぼう)するためである。わが思う人のあるところをその視界に収めることが、『譫(み)る』ことの呪的な力をはたらかせる方法であった」(『初期万葉論』20頁)。

「登高」といえば、王維(699?ー761)の「九月九日、山東の兄弟を憶う」の、異郷にあって遠く離れた肉親を憶う詩に惹かれるが、、、

杜甫を読み返し読み返しして、少しは馴染んできたように思う。それでも気持ちが添うのは後半の4行だけです。

「登高 」

杜甫(712ー770)

万里悲秋常作客

百年多病独登台

艱難苦恨繁霜鬢

潦倒新停濁酒盃

万里 秋を悲しんで 常に客と作(な)り

百年 病(やまい)多くして 独(ひと)り台に登る

艱難 苦(はなは)だ恨む 繁霜(はんそう)の鬢(びん)

潦倒(ろうとう) 新たに停(とど)む 濁酒(だくしゅ)の盃

・・・・・

万里→故郷を去ること万里、客→旅人、

百年→人の一生、台→高台、

繁霜鬢→霜を置いたように白くなった

潦倒→碌々(ろくろく)として何の役にも立たぬさま

新停濁酒盃→禁酒した

「登高の日は、大いに酒を酌み、酔いつぶれる日である。その日に禁酒した杜甫の絶望は、深い」(一海知義著『漢詩一日一首〈秋〉』144頁)

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18:22 西新宿、都庁方面

18:27

生きているようで、雲は見ていて飽きない。