変化するにちにち

「見れど飽かぬかも」

見慣れたものでも、光に映えるものの前では立ち止まってしまう。

今日は夜オケ合わせがあるが、こころは、嵐の前の静けさだろうか、却って静かになる。

光の中に生きているものたちをゆっくりと見ながら歩く。

白川静先生の言葉「見れど飽かぬかも」が降りてくる。

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「見れど飽かぬ」は、その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永遠性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能するのである。(『初期万葉論』(中公文庫)153頁)

山川、自然の姿、空ゆく雲、おきにこぐ船すらも皆、そのうちに豊かな生命力を持つものとして感じられる。そしてそれを見ることによって、その生命力は自己の家のものとなり、魂振り的に機能するとされるのである。(同 154頁)

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拙ブログにも何度も書いたことはわかっている、、、が、どこ?いつ?自分で自分をチェックするような変な気分で検索。ありました。。。〈白川静先生の漢字の世界(2017年11月)〉です。

⬆️金木犀の

⬆️今年最後の香

⬆️〈森の径〉

⬆️手前、彼岸花の葉と3本の倒れそうな茎