変化するにちにち, 白川静先生の漢字の世界

読み返す『回思九十年』

たとえば『万葉』の世界は人麻呂から家持までまったく等質の世界とされて、歌における意識の形態について、なんの展開も考えられていません。しかし歴史的文化的なもので、なんの展開もないようなものは存在しないのです。

人麻呂時代の歌は、呪歌であった。歌として歌うことによって、その歌は機能するのです。人に対して、家に対して、自然に対して、地霊に対して、呪的に機能する。

歌はそのようなものとしてあった。しかし旅人以降は違うのです。制作の地盤が違う。したがってすべてを同じ尺度で見て価値評価をすることは誤りです。(※白川静『回思九十年』117頁より)

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11時頃、左端奥の大きいビルは新宿イーストサイドスクエア、霞んでいる一帯が西新宿の都庁方面。ビルが増えて都庁の形も見えなくなった。

〈森の径〉に今まで散っていたのははなびらだったが蕊に変わっている。桜が散って新緑に目がいくようになった。肌寒いほどの雨。

流れができている。水、なつかしい、じつにうつくしい。

夕方6時少し前、朝ははっきりしなかったモード学園コクーンタワーがよく見える。