白川静先生の漢字の世界

白川静先生の漢字の世界(2017年5月)

「私の本心は東洋学者として紹介してほしい」
ツイッター@sizukashirakawaより抜粋、転載しています。

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*【詠】音符は永。永は水の流れが合流して、その水脈の長いことをいう。強く長く声をのばして詩歌を歌いあげることを詠といい【うたう】の意味となる。また「詩歌を作る、よむ」の意味に用いる。わが国で、声を長く引き節をつけて詩歌を歌うことを【詠(なが)む】というのも、その意味であろう。

*中国の場合には、滅ぼした王朝の後を絶やさないのです。必ず後をたてて諸侯の一として、一応貴族の身分を与え、先祖の祭を続けさせる。そして自分の先祖の祭のときに、これに奉仕させる。わが国でいえばちょうど国栖舞・隼人舞を献ずるように、征服された者がお祭に参加して、その儀礼に奉仕する。

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*手書きの文字は、また自己の一部である。それは脳細胞に直結した指先を通じて、指先の感触と視覚が結び合うところに、ひとつの軌迹として生まれる。文字に逍遥することも、そのような世界のことである。今後もなお、私と同じように、このような文字の世界に遊ぶ人があるのであろうか。

*【むれ(山)】山をいう。朝鮮語に由来する語。[神功紀四十九年]「千熊長彦と百済の王とのみ、百済国に至りて、辟支山(へきのむれ)に登りて盟ふ。復古沙山(またこさのむれ)に登りて、ともに磐石の上に居り」のように、百済の山名にその訓が

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*異族の中には、すぐれた知識をもつものもあり、天文の知識などでいろいろ未来のことを予知したり、あるいはすぐれた医術の知識をもつものなどもあった。西域からは、そのような異能の者がきた。そのようなものを神に仕える【臣】とするとき、片目を破ることがある。

*歴史は道の支配者の出現とともにはじまる。それは近世の歴史が大航海の時代とともにはじまるのと、よく似た事情を示している。そして今では、あの蒼々たる天空に、不気味な軌道を描く多くの浮遊物によってわれわれの地球はとりかこまれており、その軌道の制御者に全人類の生殺与奪の権が握られている。

*青銅器の原質は、神の器たることにあった。神の姿を表現することは容易ではないが、神の存在を示す方法はそれほど困難ではない。すなわち「坐(いま)すが如く」すればよいのである。神の器を供えることによって、神はそこに降臨するはずである。

*【望】というのは、上の方の左のつくりが、大きな目玉です。聖人の【聖】は、風で送られてくる神の声を聞くことのできる人の意味ですが、【望】は運気を見て、目の呪力を運気に働かせ、その運気の根源である、その下の人間の行動を制御できる呪者です。

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*わが国の古代においては、語の禁忌は甚だ厳重なものであったらしく、「言に出でて云はば忌(ゆゆ)しみ」[万二二七五]、「言の禁(いみ)も無くありこそと」[万三二八四]のように、その信仰にふれる表現が多い。それでわが国を「言霊の幸はふ國」という。

5/14
【はし(橋・梯)】川などにかけるものを【橋(きょう)】といい、かけはしに用いるものを【梯】という。【はし】にその両種があり、字を区別して用いた。【端(はし)】と同根、【挟む】と同系の語である。室から庭に上り降りする小さな階段をも【階(はし)】という。【橋】は一種の聖所であった。

*周の時代になりますと、王室の后は必ず川べりに機織殿(はたおりどの)を作って、その周辺に桑を育てて蚕を飼います。その習俗は今もわが国の皇室に受け継がれているのです。三千数百年にわたって、そういう親蚕(しんさん)の礼というものが行なわれている。

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*【あらはる】は【生(あ)る】の再活用語。幽冥のものが、いまの世に出現することをいう。そのあらわれた姿を【うつし】といい、今の世を【うつしよ】という。

*原初の時代、人びとの生活は、すべて自然のリズムに従っていとなまれる。そのリズムが、生活の秩序を規定している。しかし自然は、ときにみずから定めた秩序を否定するような、暴威を示すことがある。人びとはそれを、神の怒りと感じた。

*古代の人々にとって、死は再生であった。夜の森に、眼を光らせて出没する鳥獣は、姿をあらわすことを拒否する、霊の化身であった。時を定めて大挙して湖沼を訪れる鳥たちは、故郷を懐かしむ死者たちの、里帰りである。

*【取】|【耳】と【又】とに従う。耳を取るのは聝耳の意。[説文]に「捕取するなり」とし、討ち取った敵の左耳を切り、その聝数によって戦功を数える。凱旋のときには、その聝を廟に献ずるのである。転じて他国を侵すことをいい、すべて他の物を獲得することをいい、また妻を娶ることをいう。

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【陽】は神の陟降する神梯の阜の前に玉を置き、その光が下方を照らす形で、もと太陽をいう字でなく、その玉光をいう字であった。それは玉光による魂振り儀礼をいう字で、のち転じて陽光をいう。【陽】を【日】とするのは陰陽の思想によるもので、その初義ではない。

5/4
*【をかし】という風狂の精神は【あはれ】という正統的な美意識に対して、ひと癖のある遊び心から出ているもので、【あはれ】に対していくらか反措定的な意味をもつようである。【あはれ】が情趣的であるならば【をかし】には理性的な機智性があるように思う。

5/3
*字源が見えるならば、漢字の世界が見えてくるはずである。従来、黒いかたまりのように見られていた漢字の一字一字が、本来の生気を得て蘇ってくるであろう。漢字は記号の世界から、象徴の世界にもどって、その生新な息吹きを回復するであろう。

5/2
*自然の姿が古代の人々にとってしばしば象徴でありうるのは、自然の存在が生命的なものとして、人と同じ次元のものであるとする考えかたがあったからであろう。「吹き棄つる氣噴の狭霧」から新しい生命が生まれてくるように、人もまた「おきその風の霧」となって顕ちあらわれることができたのであった。

*身を以て行なうことを【みづから】という。

*菊は東アジアが原産で、古くは聖職者たちの霊能に関し、のち仙郷で延命の効があるものとされ、やがて九月九日、重陽の節供とともにわが国にもたらされた。そして江戸期には菊花展、菊人形のように、ひろく大衆の愛好を博した、上下貴賤、仙俗の間を往来する、ふしぎな歴史をもつものであった