変化するにちにち

楽譜に向き合う

二ヶ月の間まったく聞いていなかったケルビーニ「レクイエム」を、昨夜一通り聞く。

ヴェルディに似ている。ヴェルディの終わった直後だから、一瞬混乱、どっちと思ってしまうほど。不安感、恐怖感などの音がそっくり。ケルビーニのほうが約50年早く生まれている。

コンサートに気を取られているうちにモーツァルト「戴冠ミサ」も音取りが終わってしまうところまで来ている。

ユーチューブで聞いて練習していたのだが、どうも音取りが難しい。同じところが何回やっても歌えない。

iPad の鍵盤で確認したら、なんと!完全に半音下がっている。こんなのあり?オケとの演奏なのに。長く気づかぬまま私もおめでたく練習していたのだ。

時に、地鳴りのような声(湧き上がるようだった)を発しながら指揮するバッティストーニとの4日間、特に本番の指揮ぶり(楽譜なしだった)は言葉にならない。

曲そのものよりも人に感動した。人の深い「祈り」に身体が震えた。「思い」の力。昔の物語にある「呪いによる死」も然もありなんと頷ける。

9月の演奏会は、ケルビーニ「レクイエム」、モーツァルト「戴冠ミサ」の2曲。

楽譜に気持ちを込めて向き合わねば。今までぼんやり歌ってきた感大いにあり。でも無理して頑張らず自然体で向き合う。うまく逃げた気がしないでもない。