変化するにちにち, 母とともに(介護帰省・鹿児島)

千鳥ヶ淵戦没者墓苑・不思議の黄の菊

8月13日 千鳥ヶ淵戦没者墓苑まで~黄の菊を伯父に~
戦死した伯父がいる。私は戦後生まれであるが8月は特別の月と感じる。6日9日そして15日はお盆と重なり母方の祖父母のことが思われ、身体が一年で最も静かである気がする。

今年は13日に千鳥ヶ淵まで行った。武道館に行く人は大勢だったが8月の千鳥ヶ淵を歩く人は十指に満たずの感。桜も年老いた。枝はまだしも太い幹まで淵を覗きたいかのような傾きよう。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑の石碑を過ぎると蝉の声のみの世界。

菊は毎回黄色を選ぶ。白よりも黄色がエネルギーが感じられ、若くして戦死した伯父に相応しい気がする。献花台が見える。「あ、黄色がない、白菊だけ!?」献花台の左右の菊は真っ白、今年は何かの事情で黄色は無いのかも。。。と少し気落ちして近寄ると、あった!黄色が一本だけ残っている。否、私のためにまるで伯父が残しておいてくれたかのようで…..。

戦死した伯父を語る祖母の言葉を、母から何十回聞かされたことだろう。
「『ふとなって死んだ子んほど骨がむりむり言ごだっ』ち、ばあちゃんの言おらいだが…懐かしか…」と今も母は語る。子二人を病気で、一人を戦死で喪い、大きくなってから死んだものほど辛い(と一言で表せるものではないが)という思い、「骨がむりむり」とは無理の意でなく、擬音語擬態語両方であろう、悲しみで骨が軋む音と痛みの感覚なのだと思うが母に聞いたことはない。

終戦記念日とお盆の重なる8月15日は毎年母の実家に歩いて行った。峠を越えて20分ほどだったろうか。大切な命を思うお盆には殺生せず…(植物も命持つものであるが)と精進料理だった。祖母の甘い出汁の素麺が懐かしい。正午のサイレンが鳴ると黙祷、大人たちは泣いていた。その日の涙、伯父を語る声が今も残る。

会いしなき伯父であるが、祖父母、母の伯父を語る言葉が體に染み込んでいるのか…東京で過ごす8月はせめて千鳥ヶ淵まで…との思いがある。

この日、朝だけでも私も精進汁を作る。炊飯用の土鍋に昆布を浸し静かに作る。