変化するにちにち, 母とともに(介護帰省・鹿児島)

朝の夢・六人姉妹の祖母たち

8月19日 朝の夢が鮮明!
12歳まで住んでいた家の夢、今では「さえん」(と母は呼んでいる)になっている。隣のいとこの家も誰も住んでいない。父方母方の祖母は姉妹である。父母は当然いとこ同士。隣の伯父夫婦もいとこ。祖母たちは八人兄弟で六人姉妹(この言い方正しい?)
祖母たちは「やうっ」(身内)が広がらないようにそれぞれの子を適当に(字の如く)結婚させた(勧めた)ようである。少なくとも4組はいとこ同士である。毎年1月3日に親戚揃ってお正月を祝った。10世帯近く、40,50人はいたと思われる。女たちは朝早く集まって料理を作る。男たちは……?飼っている鶏を絞めるのは伯父であったが。
思えばあの頃の鶏肉には独特のにおいが、味があった。焼酎が入ると踊りが飛び出す、歌あり、司会者、にわかマイク、鐘、コメントまであった。歌い終わった子どもには大人たちが10円玉を畳に転がし投げてくれて私たち子どもは大喜びした。
どんどん思い出す。爺さん婆さんたち、おじさんおばさんたち、さなぼい(早苗饗)などなど….。。。
書いても書いても限り無し
8月21日
買い物の帰り道なぜか歌集のことをずっと考えて…
そう言えば京都に住んでいた時の短歌は歌集には入れず捨ててしまった?気がする。
そんなことを考えているうちに思い出した歌一首、二条城での歌、愛おしくなる。
《くれないに城も歴史もなきほどにサルビア燃ゆる 君に告げたし》
(削除してしまった言葉の回復)