9月9日重陽節(2020年)
旧暦9月9日〈重陽の日〉を教えてくださったのは歌の師、中野照子先生。第一歌集『潮(うしお)は胸の辺りまで』の跋に〈重陽の日に〉と記してくださって初めて知った。 「登高」は、白川静先生の言葉なくしては味わえない。 「登高飲… もっと読む 9月9日重陽節(2020年)
旧暦9月9日〈重陽の日〉を教えてくださったのは歌の師、中野照子先生。第一歌集『潮(うしお)は胸の辺りまで』の跋に〈重陽の日に〉と記してくださって初めて知った。 「登高」は、白川静先生の言葉なくしては味わえない。 「登高飲… もっと読む 9月9日重陽節(2020年)
わが国の改革論者たちが、衣服を脱ぎかえるように文字を改めうると考えているのは、一の妄想にすぎない。 文字は衣服ではなく、比喩的にいうとすればそれは皮膚であり、肉体の一部である。 内にある血と肉とが皮膚を作り出し、たえずそ… もっと読む 皮膚であり、肉体の一部である
8月の終わりを思わせるような、木の葉を揺らす風があり音がある。 白川静先生の言葉「音なひ」と亡き人たちの声は一対のようにワタシにはある。 この言葉と「遊ぶ」うちに内面がしだいに鎮まっていく。「音なひ」にはいつも魔法の力が… もっと読む 🍃風があり音がある
白川静『回思九十年』は、「私の履歴書」と「インタビュー・対談」からなっていて、どこをめくっても話す人に言葉に味わいがある。 なかでも石牟礼道子、最初に読んだときは静かな衝撃だった。 白川「あなたのよく使っておられるあの地… もっと読む 歩かねば!
たとえば『万葉』の世界は人麻呂から家持までまったく等質の世界とされて、歌における意識の形態について、なんの展開も考えられていません。しかし歴史的文化的なもので、なんの展開もないようなものは存在しないのです。 人麻呂時代の… もっと読む 読み返す『回思九十年』
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。」(10頁)(白川 静『文字逍遥』) 今現… もっと読む 緊急事態宣言発令される日
景色の見えかたが特にこの2週間で変わった。意外な部分と当然と思う部分がある。 あの東日本大震災後の「自粛」とは違う。あの時は一つの方向になだれ込む〈空気〉があり、同調圧力があり、恐怖だった。 他人への配慮としての「自粛」… もっと読む 日向の石に腰掛けて
昨日、〈隼人浜下り〉で白川静に触れたら、南日本新聞の「論点」に客員論説委員、歌人でもある永田紅(ながた こう)さんの「『言葉の実感』との出会い」があり、再び白川静の名を目にする。 「小山鉄郎著『白川静さんに学ぶ これが日… もっと読む 永田紅さんの白川静
雨の翌朝、雲はあるが澄んでいる。8時半、昨日と同じ西新宿方面// 11日夕刊コラム「大波小波」の書き出し。白川静の名がある、遅きに失する⬇️ 〈新元号を巡る侃侃諤諤(かんかんがくがく)においても、核心を突くものは少ない。… もっと読む 東京新聞白川静先生
白川静先生の言葉。 ねがわくは【平】も【成】も、その字の初義のままに、【平】は手斧の素朴さを、【成】は神かけて祈るつつましさを、いつまでも保ちつづけてほしい。 これらの字を、再び戦争のための字に用いることのないようにねが… もっと読む 平成最期の月に(1)