母とともに(介護帰省・鹿児島)

寂しさと安堵感

今日、母の言葉を聞いて覚悟が必要との思い。

母とこうして会話をすることは、実家ではもうないだろうけど悲愴感はない。それは母が望んでいること。

病院ではあってもここを、〈ごぐらっじゃっ(極楽だ)〉と繰り返している。時々、病院をデイケアセンターと勘違いしていたりするけど。

こごは良が、ごぐらっじゃっ。めいもふとっとごいでくぁしらっで(ご飯も皆同じ所で食べさせてくださる)」

「といなむんがぎしとにんおらっで(年寄りが大勢おられるから)」

「トイレもこげえでくれで(トイレもここに置いてくれて)まごで良がで」

「も、わがいにゃ戻ろごんなが(もう、家には戻りたくない)、こげ、えがしぇでくいやいち言わにゃいがん(ここに、居させてくださいと言わないといけない)」

「こんままずっとあってだほがよが(このままずっと行った方がよい)」

言葉は変わっても、ここが良い、との思いを4、5回は繰り返す。

今まで、こういうもんだと思っていた独居生活が、病院とはいえ、便利で年寄りが多く、ご飯も一人で食べなくて良いし、母にとっては快適なのだと痛感する。

念押しにちょっと聞いてみる。

「わがやいげんすっとお(家はどうするんですか)」

「も、ほっていっちぇっとよ(もう、放っておく)」

母の気持ちに沿って次の段階に移行できればとの思い。寂しさと安堵感がバランスよく共存している感あり。