変化するにちにち

舘野泉『命の響』

年末に聞いた舘野泉の言葉を、忘れないうちにと借りたのが『命の響』。

しかし1ページも開くことなく返却日が来てしまった。慌ててぺらぺらめくってみると、彼の名そのもの、澄んだ言葉が湧き出す泉。

このまま返却するには勿体ない。ネット上で延長手続きをする。あと2週間は手元に置ける。

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本物の「楽しい」の中には、苦しさ、楽しさ、つらさ……全部が入っている(159頁)//シューベルトとシベリウスは、まだコンサートで弾けないの。弾いているうちに、僕自身も涙が出てきちゃうから(笑)。演奏家が泣いてちゃダメですもんね。(243頁)//(シューベルトの『アヴェ・マリア』、シベリウスの『フィンランディア讃歌』のことです:筆者註)

先入観を持たず、よけいなものをあらかじめ全部取り払って……むしろ自分を消して、ひたすら手で音を探って……そうして”無名性”に到り、音楽そのものに溶け込んでしまったような演奏をすることが、僕の望みです。(253、254頁)//

・・・うまく要約して伝えられませんが、「心があって実がある」言葉のそよぎ、「風を聴くこと」ができる一冊です・・・

この本を持って出かけよう。気の向いた方へ歩いているとおもむろに行くところが定まる。いつもの東新宿の広場へ。

持って来た楽譜は出さず、石に腰掛けて『命の響』を開く。寒いけど、身体が浄化されるような心地よさがある。

中野照子先生が、1月2月の寒さが好きとおっしゃるのを何回か聞いたことも思い出す。

(2015年5月31日 第1刷発行)