歌う

舘野泉『命の響』(2)

合唱の練習会場の申込みに新宿文化センターへ。この本を持って行く。こういう時は単行本の重さも気にならない。ゆったり、澄んだ言葉の中に身を置くと、浄化してくれるのだ。

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作品の本質を表現するのは井戸掘りのようなものです。水脈に触れるまで繰り返し繰り返し、何度もね。演奏というのは、譜面を通して作曲者の魂をひもといていく真剣勝負。(88頁)

作曲家が苦心惨憺して一つの作品を生み出すように……まず、これはどういう曲なんだろうと譜面を読み解くことから始まり、そこに表現されているものをある程度自分の中に取り込めたと思ってからピアノに向かう。
単なる音符の連なりにすぎなかった音が命を持ち、自分が「音楽と共に生きている」と感じられるところまで行くには、相当な時間がかかります。(159頁)
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出来なくて当たり前、できないところから始まる、出来ないことに安心できる。頑張ろう!と前を向かせてくれる本。

練習中のモーツァルトのパミーナのアリア「愛は消え去って」は、今の段階で、呼吸も表現も自然かと思える。

しかし、シューベルト「水の上に歌う」に移ったとたん、1年近く温めてきたにもかかわらず、鉄の壁が現れたように見える。選ぶのが早すぎたのではと不安になる。

タイミングよくこの本を読んだ。壁は当然であると思える。言葉も曲も覚えたところからが始まり、これからが「井戸掘り」。

簡単に歌えると思うなかれ! 詩も曲も「苦心惨憺して」生み出されたものなのだ。

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文化センターの前で見た。逃げそうでこれ以上は近寄れない。芽をつついている。

天気がいいので、〈森の径〉から箱根山のほうに行ってみる。戸山教会。

登ろう!

山頂にこんなものあり

先ほどの教会が見える