6日月曜日13時から。一人三首または二首、プリントまたは板書して批評。出席者5名(出席率100%)、作者は分かるので自作を読み上げる。皆で必死に推敲したりするけど、良い作品になるのはすでに素地が光っている。
「すごい言葉が見つかったと思ったんでしょう」「そうよ、ばれた?」「ごちゃごちゃ、こねくり回したらあかんで!」「あ、この言葉良いね、貸して、売って?」、まだまだオモロかった。建仁寺垣なる言葉を知る。青竹が匂う。
ああでもない、こうでもないと直球を投げるのは良い。声を聞いて、顔を見て(顔色は見ない)、空気を感じて(読まない)和やか。WEB歌会の集中力も良いが、ここでのまったり感も(でもないけど)、貴重なひととき。二次会は餃子屋さんへ。5人で餃子50個&ビール、トマトジュース。
写真は中江博子さん作。歌会にメモ帳を作ってきてくださる。今日も彼女の歌は、言葉も内容も「さらさら感」がある。淡い色合い、アクがない、今気づいたけど、声も言葉から来るイメージと同じ。さらっと言って、重い内容を歌っても涼風がある。当然のことながらその人が出る。この色合いと筆の流れ。
そういえば、と思い出した。京都に住んでいたとき、歌は、歌うような少し哀調を帯びた独特の節があった。中野先生も他の先輩もそうだった。東京に来て、その独特の読み方がないことに驚いたことも思い出した。東と西では違うのだろうか。「歌うように詠みあげる」、「詠ずる」はまだどこかで引き継がれているのだろうか。
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