変化するにちにち

15代 沈壽官(2)

いつ頃からだろうか、15代沈壽官のブログを拝読している。「直心直伝」のコラムは数ヶ月に一度しか読めないが、日常、展覧会のこと、旅のこと、韓国、日本のことなど、どこを読んでも文が静謐、人間愛に満ちて、内容とともに非常に感動的だ。

母の介護に帰るようになって、毎回、川内駅の物産館を覗く。薩摩焼のコーナーがあり、沈壽官の作品が常設されていて、眺めるだけでも楽しみだった。2年前、黒薩摩の長手急須を買った。手によく馴染み豊かな気持ちになる。これは割れずにまだ毎日使っている。去年、物産館の改装後はテラスもできて綺麗にはなったが、薩摩焼は置かれなくなった。

40数年前、父が亡くなった年に、何故か、薩摩焼の里、美山に母、弟と行ったことがある。夕方、両側に孟宗竹が鬱蒼と茂る道が延々つづいて、湿って薄暗いような独特の雰囲気があった。また20年ほど前、司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』を知った。

【十六世紀末、朝鮮の役で、薩摩軍に日本へ拉致された、数十人の朝鮮の民があった。以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた、その子孫たちの痛哭の詩(裏表紙の紹介文より)】14代沈壽官が登場する。

カップ&ソーサーは、まだ箱から出していないが、スープはもちろん、コーヒー(どうかな?)、紅茶、味噌汁でもOK。ソーサーにはパンを乗せています(店員さんの言葉)。カップの裏とソーサーの表に石蕗の葉脈のような線があって、これが何とも言えず懐かしい。ふるさとでは石蕗を春に食べる。去年の同窓会で神社の境内で食べたお昼、石蕗の葉の上に赤飯を乗せていたのを思い出す。

追記:後日、訪れた窯元では、石蕗ではなく、蓮葉カップ&ソーサーと書いてありました。