歌(短歌)があるから生きていられる。歌があるからここまで来られた。そう思いながら必死だったのはいつ頃までだったろうか。
生きることそのものだった短歌は、精神が安定すると面白いものとなったが…、余裕を持って言葉をより遠くより眺められるようになったが…、何か、大切なものを失ってしまった気がする。
2011年の地震では、言葉を失った、と少なくともそのときには思った。言葉を一からやり直さねばと決心して一年くらいは続いたかもしれない、当時の真剣さもまた失った。
母の介護をきっかけに変化し始めた内面をブログに書きはじめた。どんどん言葉に出しているうちに短歌は遠いところに…、追いやってしまったのかも知れない。
朔太郎の子、萩原葉子氏の言葉を思う。「フラメンコを踊りだしたら小説が書けなくなって、ダンスに切り替えた」ということ。かつて東北沢駅近くのスタジオでダンスをされているのを見たことがある。同じスタジオだった。
あの頃は寺山修司が逝った直後でどうしたらいいのか分からずフラメンコをやっていた。
ブログを、何をアホなことやっているのかと時々思ったりしながらも書いて……結果的に自己解放して、短歌を追いやっているのかも知れない。
短歌とはなんぞや・・・。秋の夜長のせい、かもしれない。
コメントを投稿するにはログインしてください。