変化するにちにち

指揮合わせ、表現

強烈なエネルギーに薙ぎ倒される、打ちのめされる。一瞬の気の緩みもできない。

新宿文化センターの合唱団員募集の段階で、〈国際的に活躍するイタリアの若き名匠、アンドレア・バッティストーニによる、国内初のヴェルディ「レクイエム」〉と銘打ってある。今日の指導を楽しみにしていた……では済まされぬ、「覚悟して」が抜けていたと思い知らされる。

上下左右の感性の動きの幅が大きい。奇声とも思える、動物的な原初の声だろう、指揮の合間合間に発せられる、自在に操られている感覚。メリハリという言葉がチャチに思える、それは内面より自ずと生まれるものなのだ。

場面場面での曲の言葉と、今生きている人間の、一筋縄ではいかぬ諸々綯交ぜの矛盾するもの、葛藤、文化的なものを言葉にしてくださる。その一言一言が、指揮者の深い洞察より湧き出る。

歌では、声にならぬ声、ほとんど息だけのものから、なりふり構わず神に叫ぶようなところまで、人間の死に対する不安、恐怖、清濁諸々すべてを出し尽くすような、今日の「レクイエム」であった。

このマエストロのヴェルディ「レクイエム」、ものすごい演奏になる予感がする。素人の合唱団であればこそ…身体表現の凄まじい気を受け取って、歌わされてしまうに違いない。

それは同時に、来週から一層高い要求と途轍もない厳しさが待ち受けているということでもある。それも覚悟の上で来年2月の演奏が待ち遠しい。