変化するにちにち

共時性

蜷川幸雄、昨日何かのつながりで、そういえば最近聞かないなぁ…とぼんやりながら思っていた。

あら不思議、出てるじゃんと朝刊をよく見ると死去の文字。不思議な気持ちだ。よく知っている人ならともかく…、昨日に限って普段は思いもしない人の名が何故ふいに出てきたのか、そのことばかりが気になる。

一昨日、京都の中野照子先生にお会いして、昨日は一日中静かに余韻の中で過ごして気が研ぎ澄まされたのかなぁ。ネット検索ではユング、河合隼雄から何だかいかがわしそうなものまである。辞書で調べるが共時性は無い。

そういえば中野先生は何回も辞書をめくっておられた。話の合間に四、五回は手に取られたと思う。 嵯峨未生流のお花の先生でもある、米田登先生の歌とともに、まだまだ解決しないスズカケノキのこともお聞きした。iPad に入れておいた植物図鑑の説明文(何度読んでもわたしは理解できず)をご覧になり、流れるように説明してくださった。実のことを「ボンボンさん」とは、まさしく先生の言葉だ。

そんなことを思い出しながら森の径で立ち止まってスズカケノキを見上げる。「ボンボンさん」か。

「これは何という木ですか」と見知らぬ人に聞かれる。知っている限りあれこれ(余計なことまで、たぶん)、10分ほどの立ち話。「折ってきたんです」と枇杷の一枝を差し出される(一昨日のローズマリーを思い出し…、これも共時性???)。
折ってきた?有難く?いただく。
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