変化するにちにち

槐(えんじゅ) ◇ 白楽天の詩

近くにはエンジュ(槐)の木が多い。今花が地に落ちている。ヘッダー画像は海の日(先週の月曜日)に撮ったものだが、風のないときにも散るのが見られる。いつ頃からか槐に特別のものを感じるようになった。エンジュはいい香がすると、むかしむかし漢詩の好きな中国語の先生に聞いたことがある。でも近くに寄っても一度もその香に出会ったことはない。日本と中国では種類が香が違うのだろうか。

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槐(えんじゅ)の花が歌われた白楽天の漢詩「暮立」(暮れに立つ)を見つけた。

黄昏独立佛堂前
満地槐花満樹蝉
大抵四時心総苦
就中腸断是秋天

(たそがれの佛堂の前に独り立つ)
(地には槐の花満ちて 樹樹には蝉の声満ちて)
(一年総じて悲しけれども)
(とりわけ断腸の思いこの秋)

漢詩を日本語訳にすると硬く、ゴツゴツ感を拭えない(滑らかになるように頑張りましたが)。中国語では韻を踏み、流れるようなリズムで音楽的、柔らかい。 「前」と「天」の韻を踏んだものより、満地と満樹の対がわたしは好きだ。

千年以上も前だから今と比較にならぬほど季節感はあったに違いない。「秋天」は秋で、秋空ではない。八月後半の秋風が立ちはじめ、朝夕肌寒くなりはじめるころだろうか。今年の立秋は八月八日とある。白居易40歳のころ、母の服喪をしていたときの作らしい。