変化するにちにち

「ペコロスの陽だまりの時間」あれこれ(3)

人が亡くなるとはこういうことなのか…が今週の「ペコロスの陽だまりの時間」の感想。
「みつえさん」の毒舌の登場!と一瞬喜んだけど…、何かちがう…。
何かが違う…、何だろう…、言葉への違和感?ペコロスの母「みつえさん」の「バーカ」が直球で来ない。

「バーカこけ居ろもん」(〈ここに居るじゃないか〉の註あり)
「こけ?」
「こけェ」

母はこの世から居なくなったと言うペコロスに、「バーカこけ居ろもん」とは言っても何か物足りない、言葉どおりの面白さがない。
時間とともに作者の中でも、生の「みつえさん」が少しずつ変化していて、そこにわずかの不自然が生じているような気がしてならない。当然かもしれない、人が亡くなるということは、良くも悪くもこのようになってしまうのかと今週しみじみもの思わせてくれた。
わたしの中でも「みつえさん」が薄らいできていることもまた事実。

「こけ」は〈ここに〉の意味でわが故郷でも使う。実家のある集落では「け」がさらに濁って「こげ」となる、他の多くの単語にもやたら濁音がつく。それが高校生になった途端コンプレックスでもあったが今は平気である、良いも悪いもない、文化だから。

ついでに書いてしまえば、助詞「を」も様々な音に変化する。
本を(の)読む(よん)、飯を(めしょ)食う、柿を(かご)食う、汁を(しゅろ)吸う、水を(みじょ)飲む(のん)、となる。この音の変化も私たちの世代で終わるのかも知れない。大切なものが失われつつある。