変化するにちにち

疲れた感がない不思議な身体・體

故郷を去るときの、今まで必ずと言っていいほどあったある種の、「悲しみ」がない。悲しみに対し、喜びにも大きくブレない、必要以上に執着しないということ?    否である。そのような至難の技に近づいてもいない。でも帰りついた途端「あー、疲れた!」とキャリーバッグを放りだして大の字になりたいという身体感覚がない。7時過ぎに帰りついて服などを片づけてお風呂に入ったら、ずっとここに住んでいたような身体に戻っている。

新幹線では「たつるくん」の本を読み直したもん!  家で、1日で読めるページ数ではない。『街場の文体論』(内田樹著)は去年も借りているので3回は読んでいると思うけど、こんなことも書いてあったのと新発見ばかり。読み直せばまだまだ出てくると確信する。何故なら、まだ分からないことだらけだから。

母を置いてきたという悲壮感もなくうまく東京に適応できている。地下駅を上がって新宿の空気を吸ったら、これも私と混じれると感じられた。この濁り感もまた有りだ。

明日から日本に里帰りしている友が4泊する。母の都合で帰ってくるのを1日遅らせたので、休む間がない…と不安もあったが、それよりも1、2年に1度しか会えない彼女と一緒のときを想像したら楽しく、今はこのスケジュールにして正解であった、と嬉しい。部屋も一緒に片づけてくれるし。待ってるよ!

行きも帰りも疲れを感じない不思議なカラダでココロもゆるやか、そしてココロがゆるやかであるからカラダも體でいられる。書いているうちにまた高揚してくる、この辺で終わらなければまだまだ続きそう。