変化するにちにち

♢ さくら・桜・櫻 ♢

花の待ち遠しい3月を桜にすることにした。テーマ(?)ヘッダー画像(?)など、ついこの間までは何のことやら分からなかったが、今使っているテーマのヘッダー画像にセットされているのがこの桜である。

『櫻古木』という歌集を出された「好日」の山田冨士江さんを思い出す。15年以上前かと思うが97歳で亡くなる前夜、家族への挨拶の手紙を机上に残さて逝かれたという。編集のお手伝いか何かでお宅にお邪魔した時「貝の無い桜の字は詰まらないのよね」というようなことをおっしゃっていた。2階のご自身の部屋から眺められる、広大が大げさでないような庭の「櫻」をよくお詠みになった。中野区の指定樹木であるそうで遠くから眺めても見上げても別世界に連れていってくれるような存在感のある「櫻古木」であった。

「好日」の野口明美が逝ったのもこの月。「大会の前日に泊まりに来ませんか?」と葉書をもらい泊まりに行ったのは20年以上も前のこと。じっくり話した事もないのに行きたいと思わせる人、8月だったが白い靴下を履いていてふんわりと歩き、音のないような不思議な人で天使のようであった。人を「天使」と感じたのはこの時一度限りである。60歳を待たず父が亡くなったのも3月、あの時に見た桜も大きくなった。

日本人のDNAなのか、「はな」と詠われる「さくら」を見ると、生きる、命などの言葉と直結する気がする。呼く息、吸う息を見つめてにちにちの「いきる」を味わいたいと改めて思う。