待ちに待った合唱!嬉しくて朝、夜2回行った。一ヶ月半ぶり。10月の演奏会に向けてベートーベン「ミサ・ソレムニス」の練習、実際には11月末から始まっているが、母の介護に帰っていた私には今日が初めて。パート決めと称する一人一人発声チェックで緊張しようが、楽器に求めるような高音を肉声に要求されようが、何があっても楽しい!に尽きる。自分で選択できる環境にある。
うたとうた
「より良いものを目指す」という同じ意志のなかで妥協することなく作り上げて行くことに本能的な喜びがある。日常でありながら日常の騒がしさと大きく違う。合唱のあとお昼をとりながらする歌の話は、短歌の話をするときと同じ心の状態だと感じる。歌と歌です。
白川静著『中国古代の文化』の「音を通じて一体化し、同じ次元に立つことができ」る、まさにこれです。
帰って来てから時差ぼけのような感覚の一週間が過ぎて、今日私の日常が始まった。生活の場である「ここ」「いつも」を離れて、頑張ってはいないのにストレスを溜めて介護したひと月は終わった(もちろん介護の実りも大きいが別のもの)。解放されて歌える環境にある喜びを味わう。
もう一つ!朝歌っておしゃべりして夜歌うのは声帯によくない、ベートーベンのせいばかりではありません。