変化するにちにち

『ペコロスの玉手箱』用意できましたのメール

が図書館より届く、やっぱり!予約の人が前に数人いたがタイミング悪く実家にいる時と重なってしまう。キャンセルしてまた順番待ちで予約し直すしかない。

解説のみ読んで借りたくなる
内田樹著『レヴィナスの愛の現象学』は2週間後に延長手続きすれば4週間借りられると、東京を出る前日に借りた。予約待ちで延長不可ならば書籍便で送るつもりだったが、返却日の時点で予約は入ってないので無事延長できた。

少々分からなくても、ほとんど分からなくても、全くさっぱり分からなくても
この文庫本は図書館の入り口に2冊並べて置いてあり、いつも眺めては素通りして、私には「理解不可能」の部類に入れていた。だが、こっそり師と仰ぐ内田樹、やはり手にとってしまった。解説は…ン…?!釈徹宗師ではないか、解説をざっと読みこれだけで、読みたい!と思わせてしまう魅力的な言葉である。因みに著者の「あとがき」は読まぬままである。新幹線車中ならば、こういう難しそうなものも読めるかも知れないと思って。「続けて読めば必ず文体に慣れる」を信じて
少々分からなくても、ほとんど分からなくても、全くさっぱり分からなくても(情けない)次に何かありそうな期待で健気に(?)読みつづける。

「身体に入り込む一行」
そしてたまにはすんなり「身体に入り込む一行」がある。数十ページの中の一行でも宝、血肉となる。ほとんどは身体に関するもの。それだけでも身体がぐんと(かは知らないが)変わるのだ。紙の本はよい、分からなくても読んだページが増える質感があり、読んだけど分からなかったと頷ける。電子版であったならこういう楽しさ(?)はないだろう。