変化するにちにち

従姉妹に誘われて報恩講へ

母をデイサービスに送る朝の闘いのような時間を終えて一息、従姉妹からメールで、報恩講だからとお寺に誘われた。祖父も母も伯母たちも「報恩講」はまるでお祭、と言うとひんしゅくを買いそうだがうきうき、いきいきしていたように思う。子どもごころに何か楽しい事なんだと感じられた記憶がある。

「あげめ」って?
お寺へのお布施?この土地では「あげめ」と言っているが書くのは「御仏前」だと一歳下の従姉妹が教えてくれる。
着くとすぐにお寺の先生がわざわざ挨拶に来て母の安否を訊ねてくださり、帰り際も母に宜しくとおっしゃって下さる。正信偈を上げたが皆立派でよく通る声、慣れている事が感じられる、それほどお寺に行っているということだ。
「あげめ」かぁ…。漢字ではどう書くのだろう?方言で「め」は「まい」の短縮だから「米」?「上げ米」だろうか???

「ココロ・こころ・からだ・み」ほんわかじんわり
二つ上の知り合いが煮しめを差し入れしてくれる。彼女の味はいりこだしで美味しいなどと簡単に言ってはいけないような昔のちゃんとした味。6月にも戴いた。
夜は「竹の里・平和の里」の従兄弟がイワシの干物を差し入れてくれて、「ココロ・こころ」ほんわかじんわり伝わる。

長く住めば色々あるだろうけど、ひと月の予定でいる者にはとっては、ただただ有難いとしか言いようがない。

夕食時、配達のお弁当そっちのけで母は煮しめばかりに手を付けていた。二人ともまるで飢えた者のようで、見られたものではなかったかも知れない、いや絶対にそうであったはず。