《 みずからにいらだつ母の身体に溶けぬままある在るさまざまの石 》
「好日」2014年 6月号より
母が「石」を抱えていると4月にすでに私は感じて詠んでいたのだ。今日、10月19日午後、今年の作品をパソコンに入力していて驚いた。溶けぬままの「石」を母が身体に抱え込んでいると言っている。驚きを飛び越える。6月号だから原稿を送ったのが4月。3月に母の病室でひと月過ごした時の思いである。その後、5月に入って受けたセラピーで石をごろごろ吐く体感を味わった。まず母に石を感じて、その後自分に感じている。村上春樹の「タイランド」の「石」そのものである。石のイメージとして人に通底するものを思う。
母の石を考えたこともなかった
冒頭の一首の「石」は、頑なであるという意味で使っていて、怒りの対象として母を見ている。だが今の私は、母も大変だったのだ、解って欲しかったのだとの思いである。農業をやっていた祖父の手伝いが大変だったということをそういえば繰り返しくりかえし、帰る度に、ことある度に言っていたが、傾聴することもなく来てしまった。この歌を出した4月にも、活字となって届いた6月にも、自分で詠んでいながら「石」に気づくことはなかった。
怒りの対象であった母から背を丸めた小さな母へ、視点の転換
母も大変だったのだと視点が変わったのは、ゲシュタルト療法を受けて二三回経ったころ。エンプティーチェアー療法と言うらしい。母の椅子に座って母になり、私を眺める、話しかける。自分の椅子に座って母を眺める、話しかける、という事を二三回繰り返してハッと気づいた。意識より先に身体が動いた。母の椅子に向かう身体の方向が変わったのだ。母の椅子を避けるように、目に入らぬような角度に置いていた椅子の方向を無意識に、目に入る方向に変えたのだ。
セラピスト(ファシリテーターというらしい)の誘導が良かったのだと思う。「お母さんはどっちを向いていますか、どんな様子ですか」「何か言ってますか」「どんなイメージですか」などと間を置いて落ち着いた声で聞いてくださる。「後ろ向き、小さく背を丸めてうなだれて」などなど言ったように思う。本当にあの時の母は小さく見えた。振り返れば、これまで色々なことが起こって、色々な人に助けられて、特に今年は劇的に自分も変化したと思う。節目節目で出逢うべく出逢って助けてくださった方々、人の心根のどこまでも深く・・・と思い出しては感動する。
10月19日「溶けぬままなる」を「溶けぬまま在る」と改め。