変化するにちにち, 歌う

「生命のにぎわう世界」

⬆️ 烏瓜がだいぶ太った(22日)

この1ヶ月、合唱で得る充足感はそれまでとは少し違って、もっと身体の深いところから湧き出るような感じのものであった。

「歌う」を癒しと言うのは少し違う、癒しは外から与えられるもののような気がする。

「歌う」ことは内面から噴き出る何かによって自ら潤うような体感。身体に元々あるものが飛び出す、あ!劈く!・・・との思いが強くなった。

と書きながらも、言葉と気持ちがまだまだ大きく乖離している… 悶々としていたら、、、

石牟礼道子の言葉、「生命のにぎわう世界ですね」(『言葉果つるところ』鶴見和子・対話まんだら 石牟礼道子の巻)に出合った。

歌うこと、まさに「生命にぎわう世界」。

歩いて行ける距離でも日々面会に行くのが、だんだん重荷になっていたことも事実、そう思う時はもちろん自分の気持ちを優先した。

この一月ガランと物音の無いような空気感に最初は慣れず、うろたえたりしながら自分の心の有り様を静かに観察した。

慣れるに従って期間限定「おひとりさま」の快適さも味わった。

快適さが増した頃に…、ご帰還となる。なんだか複雑。。。だが、オットではなく、病院に居る一人の人間として見ていた部分も大きい。よく分からない、、、ゆえに、、、シリキレトンボ😮‍💨

⬆️ こんなにいっぱい!

⬆️ 樟の眼(22日)

⬆️ 森の道

 ・