詠う(短歌)

短歌時評:「好日」2023-10

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字数制限で詰めて詰めて詰め過ぎたようで、自分で書いたのにいま読むと分かりにくく、言葉の入替、大幅な改行をしました。少しはわかりやすくなったと思います(願わくば)。

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      〈AIとどう付き合う?〉

『短歌研究』5月号6月号を図書館で予約したら「5月・6月合併号」が来た。これが面白い。300歌人の新作作品集だ。これ以外には小島ゆかりの巻頭特別作品だけで、他に作品は一切無い。

「一周まわって」がテーマで次の書き足しがある。〈最近、よくみかける言葉ではありませんか?原点に返ってとか、もう一度新しく見直してみるとか、そういう意味合いがあるのではないでしょうか〉。

作者がグッと身近に感じられるエッセイから読んでみる。幾つかのパターンがある。年齢、家族など身の回りを振り返るもの、歴史的な出来事を振り返る、短歌の今を憂えるようなものが主だ。

そんな中で佐佐木定綱が「何を歌えばいいのだろう」と題して批評、作歌に入り込む AI への驚きを具体的に述べている。AIの作歌力については、まだ「脳から詩情を摘出された」ような「つまらないもの」と言いつつ「うまい短歌を出力できるのは遠くないと思う」と戸惑いを言う。

一方、AI に批評させたのが山崎方代の1首『切り株に腰を引っ掛け見ていると今日の夕日が笑っているよ』。次の「」内がAIが出した内容です。

「自然と一体化し、夕日の笑顔に応えるように微笑んでいるのではないでしょうか。また、切り株は元々木だったものが切られた跡で(中略)自然の命や循環を感じ取っていることも示しています」

これに対し佐佐木は言う「もう一首評はAIでいいですね。冗談です」。思わず笑ってしまうが笑えない現実だ。

深追いせず肝心の歌を読み進める。AIのことに支配されそうな脳に安心感を与えてくれる二首。

〇やはらかき春の土の上に立ってゐた父かな鍬に体をあづけて

                時田則雄

〇天も地もおそろしくなりもうできぬ天地一周するさかあがり

                小島ゆかり

前者の上句は時田の体感で「鍬に体をあづけ」ているのだろう。体感を通して「父」を懐かしむ様子が肯定感まで伝えている。小島ゆかりはテーマに応じ世界の今を象徴するように詠む。

一首のカギは「天地一周する」だろう。「さかあがり」に至るまでゆっくりした流れを作り、又、上句を回収して説得する役割をも担っている。身体を通して出る言葉を時田、小島の両者に感じる。こういう時の脳が果たしてAIに作歌を頼ろうと思うだろうか。

もう一つ是非触れたいのが『短歌』6月号の川野里子の28首。『好日』8月号〈歌壇作品評〉で東條則子が言及しているが並々ならぬ熱量で、2011年に岡野弘彦が百首詠んだ時の気迫を感じさせる。

28首全体の詞書として冒頭に旋頭歌〈いさなとり海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ〉(『万葉集』三八五二)を置く。本歌取り、又は「鯨」などを折込む歌が全体の3分の1を占め、イメージを喚起させる言葉選びが周到だ。紙の都合上、川野里子の末尾の一首のみ挙げます。

〇海死にやすく山死にやすく人のこころ死に難くして天地のあはひ

同じく『短歌』6月号で森山晴美は、「歌人とは?」の問いに、「AI時代の希少な古典継承ランナー」と応じている。短歌を始めたきっかけが悲しみに直面した時という人も少なくない。こういう時の身体感覚、DNAが、「希少な古典継承ランナー」に繋がってほしい。

因みに筆者はこれをiPad mini5を使って書いている。5には無いが6ではAI機能が付いて文章の推敲もするようだ。6は2021年に発売されている。


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