変化するにちにち

「息」に至る

⬆️サルスベリ

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サンダルを履いて出かける。昔の草鞋のようにぺたんこ、足裏にぴったり付いて足の一部の感覚。まるで裸足で歩いているよう。

虫を踏まないように歩かなくては、、、と意外な思いがフッと来た。そして釈迦につながった。釈迦が虫を踏まないように気をつけて歩く、、、という言葉を思い出した。

身体感覚が脳にこういうことまで思わせるとは、、、と感動ものだ。

⬆️サルスベリ・百日紅

昔々ではなく東日本大震災のあと、中村元氏の釈迦の原始仏教の本を何冊も読んだ。

家は代々浄土真宗で祖父はまるで禅問答のように親鸞の言葉を吹っかけた。私はなかなかそれを受け入れられず苦しかった。

40代で久司道夫氏のマクロビオティックの解説本に出会った。食の本であるのだけど宗教にも触れていた。題は忘れたがつづまりは同じですよと図解されていた。

⬆️猿も滑る?

もう一つはティク・ナット・ハン(2022年に逝去)氏の「マインドフルネス」の考え方。彼はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒を同じ建物内に集めてリトリートしている。

息を吸って 息を吸っていることに気づく 息を吐いて 息を吐いていることに気づく」、「呼吸で命の根源にもどる」先人の叡智だ。

「ハイルマン合唱団東京」のウーヴェ・ハイルマン先生の言葉も思い出した。

「魂で歌ってください。魂、、、難しいですね、、、魂、、、息でしょうかね、、、」

⬆️百日紅だから白は最近?

ここまでカフェで一気に書いてしまった。久々に爽快感に満たされる。書き始めでは何を言いたかったのだろう。

そうだ、サンダルだった。これを履いていつもとは違う足の感覚が釈迦につながって、蟻を踏まないように歩かなくてはと、フッと思ってしまったその感動から書き始めたんだった。

途切れ途切れの「記憶」をたどりながら自己確認をしているここち。

「息」に辿り着いたのは偶然ではないとの思い。

⬆️新宿イーストサイドスクエア。あとで気づいた、雲が映っている。