一挙一動が濃く思える一年だった。2月の帰郷は、〈退院するのを待って〉、待てない、行けるときに行かねばの直感だった。
「も、わがいにゃ戻らんじん、いっはざづいこげおほろごだっ(もう家には帰らず、逝く時までここに居たい)」と病院で母に直接言われた。そして願いどおりになって、その声が支えになっている。
新型コロナウイルスなる言葉を初めて聞いた時、「人から人へは感染しません」だった。1月に夫は中国へ、2月に私は母に会いに行った。身体感覚への信頼がより増した。
「自粛」「不要不急」なる言葉が現れ、合唱も練習会場が悉く借りられずいったん休止、2011年と同じような空気、同調圧力のある不安、戦時中もこういう皮膚感覚だった?
人の言葉で空気がだんだん変化する。マスク着用も、〈移されないため〉のものから、〈他人に移さないため〉の両方に変化した。いま 結果論としては見えるけど真っ只中では複雑な気にもなる。
中国の父が亡くなった。行っても2週間の隔離がある。断念する。最後の別れができない。「人間が他の動物と大きく違うのはは、死者を葬るということ」、死を受け入れるためには必要だ。
母とはガラス越しの面会は可能でも(12月から面会禁止になった)、逡巡して、行くまい、「天に従う」と決めた。この言葉は人間の知恵だ。「天に従う」と思えば少し楽になる。
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7:05 西新宿方面が朝日に反射している。
いつも拙文をお読みくださりありがとうございました😻来年もどうどよろしくお願いいたします😊
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