変化するにちにち, 歌う

「真人の呼吸は踵でする」

「真人(しんじん)の呼吸は踵(きびす)でする」は荘子の言葉でそれを、能楽師安田登が『疲れない体を作る「和」の身体作法』で紹介している。

「踵」は現代の「かかと」でなく、「足裏」から「足首」までの、やや広い範囲を指し、深々たる呼吸であると。

それは呆気なくやってきた。朝、発声練習をしていて、あ!これ!足裏は今までもあったが、「かかと」として来たので大きく驚き喜んだ。

でも・・・これは〈「すでに身体に刷り込まれたこと」が意識化され〉ただけなのだ。

あまりにも格調高く、〈ほど遠いもの〉との意識しかなかったが、身体に刷り込まれたものを言語化できると、なあんだ、となる。

ただそれを歌う時に、「即実現」とはいかない。地道に、身体部位に意識を送って確立する以外に王道はない。分かりきったことに溜息が出る。

それよりも何よりも喫緊の課題がある。「言葉を身体の深部より発する」こと。

身を削って書かれた言葉を軽々と扱わず!と言われているような気がする。

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