変化するにちにち

合掌する母

母がいる病院は面会禁止が続いている。それでも今日、いもうともが洗濯物を取りに行った際に看護師さんが撮ってくださったと写真を送ってくれた。母は合掌している。

もうすぐ97歳の母は〈有難い人生だった〉と口癖のように言い、十分に生かされたと彼女自身が思っている。私も介護と称する帰省で母との時間をたっぷり楽しんだ。しかし合掌する写真に一日中からだはじーんとしてしまった。

こういう時に言葉が支えてくれるが、そうでない部分もある。それでも言葉があれば訳も分からずうろたえるということはしない。

「今、ここにある・・・・・・鮮烈ないとおしさへの感覚を、豊饒にとりもどすこと」(真木悠介『気流の鳴る音』)

これを紹介しているのが竹内整一著『日本思想の言葉』(角川選書)だ。一月ほど前に東京新聞で紹介していて図書館で借りた。23日にアップした「花びらは散っても花は散らない」(金子大栄『歎異抄領解』)もこの本に解説されている。

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トチノキの花序?

まだ低いので近づいて撮れた。

ラベンダーの丘に上がってみる

23日までは自由に遊べたが、都の要請で翌朝はこのようになっていた。