変化するにちにち, 歌う

楽譜か本か,「ベルシャザルの饗宴」

家にいる日はこの楽譜『ベルシャザルの饗宴』を手にしている時間が長い。

どうにかこうにかでも歌えないと楽しくないから、できる限り時間を割いて家で録音を聞き、楽譜と睨めっこして新しいところの音取り、、、と書きたいところだけど、これがまことに手ごわいのですぐに投げ出してしまう。

で、何をするかというと小節番号を確認したり、言葉の意味を読んだり、インデックスを付けたり、歌うパートに線を引いたりしている。思いついたものからやっていくうちに、より馴染んでくるだろうと願いつつ。

時間を多く割くといっても一回の合唱練習に如かず。集中力が違うのだろうか、からだへの浸透の度合いが異なる。

もしかしたら迷走したりすることで身に入るのかもしれない。そしてこの迷走が案外、功を奏して脳に刺激を与えるのかも・・・と真剣に思ったりする。疲れているのかなんだか情けない。

歌詞が旧約聖書からなので、手元にある本を引っ張り出してみる。でもあちこち読み出すと楽譜そっちのけで、本にのめり込んでしまう。

山形孝夫著『読む聖書事典』(ちくま学芸文庫)。同じ著者で『聖書の起源』というのもあります。

ガレージセールで買った犬養道子の「旧約聖書物語」ともう一冊、読み始めたが難しくて頭が痛い。こちらは早々に諦めた。

・・・が、山形孝夫氏の本は不思議!複雑で難しいはずなのに読めてしまう。著者の言葉がそうさせるのだと確信する。何と言うべきか、読者に対する深い愛を感じる。

いつも同じような言い方ですが、声を聞きながら読めて、身体が楽なのです。呼吸でしょうか。