母とともに(介護帰省・鹿児島)

「古道」旧道

地区の親子ラジオが、お彼岸法要があると何回か放送していた。同級生のKaさんと行く約束してある。昨日よりも強い雨、でも往くときはまだ小雨。写真を撮りながら旧道を行く。

お寺ではKaさんが私の席も取ってくれていた。母をご存知の方、人に聞いて「えーっ!娘さんじゃっとー!ゆう来てくらいたなー」とかけてくださる方たちの言葉が気持ちよい。正信偈の行譜を皆さんすらすら、すごい。

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豆?が長い、30センチはある。これが世に言う「ナタマメ」かと、お寺でこっそり「こやないけ(これは何)」と写真を見せる。「ナタマメはじゃんか(違う)」と一笑される。藤とのこと。あーそういえば……⁈   こんなに野生的! 次の6月には藤棚が見られるだろうか。

訂正:22日にゆっくり見たら、豆は15センチほど。驚き、感動で倍の長さに見えたようだ。

旧道は懐かしく心地好い。

帰りも旧道を歩く。兄が親戚の家に行っての帰り道に詠んだ月夜の1首を思う。2014年の暮れ、入院する前に、兄は母には病を隠して会いに来た。この時メールで批評を頼まれている。

《  山並みを墨絵に染めて月明かり古道をふたりわが影と行く  》

「古道」とはこの旧道のことだ。内面を深く下りていって「わが影と行く」に至り、余計とも思えそうな「ふたり」、しかしこれを言ったことで深みが出ている気がする。身内としてのひいきはもちろんある。

去年か一昨年、Mおばんが母から聞いた話として教えてくださった。兄は帰るとき、わざわざ橋の上で車を降りて両手を振り、母へ一礼して去ったという。何も知らないとはいえ、母も心打たれてMおばんに話したのだろう。そのとき兄は最後かもしれないと覚悟していたに違いない。

雨のなかを歩きながら、去年と今年の〈旧道〉の感触の違いを思う。