降りてくるのか、湧くのか、短歌にかぎらず書きながら予想もしなかった言葉が生まれる瞬間がある。その言葉に気持ちよく身体がふくらみ、思考も身体も変化する。それを確信した途端、一週間ずっ〜〜と悶々、霧がかかっていたものがクリアになる。
それは先生の、レッスンでのちょっとした言葉から来たりするのかもしれない。画家のような哲学者のような声楽家である先生の言葉は、対処療法的なものではない。一言が静かに時間をかけて膨らむような〈核〉を持つ。
身体の使い方と同時に、ときどき歌から少し脇にそれた言葉を、気持ちいーい!とほとんど毎回味わいながら帰ってくる。それが何かと触れた瞬時、言葉になっている気がする。今年最後のレッスンも然り、その余韻のなかに浮いている。
澄んだ光のなかの〈時〉に身を置くような感触。豊饒〈時光〉の1年。
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