変化するにちにち

クレヨンハウスへ

先週、調子悪くて会えなかった友とクレヨンハウスにて待ち合わせ。国会議事堂前での集会以来かも。

テラスを向く椅子に並んで座り、ビール混じりのゆったりランチ。本などをうろうろ見て、またお店にもどってコーヒー。

アレクサンダーテクニークの施術者でもある彼女に、「一つだけ言ってもいい?」と聞かれる。わたしの首の後ろが少し緊張していて、話す声が喉を使っていると。やっぱりか、気になっていたのだ。

彼女に首のところを少し触ってもらう。頭蓋骨が脊椎に自然に乗っかる 、この感覚だ。これを絶えず意識できたらどんなに気持ちよいだろう、歌うときも(歌う時こそ)。

「脳が理解できる」具体的なこと、言葉をイメージするように言われた。〈ちゃんと歌う〉〈響く声〉は結果であって、声を出すときの具体ではないと。

つまり、本で読む「たけくらべ」は難解でも、具体的に言葉をイメージして読む幸田弘子の声を通せば解るということだ。〈 うん、「私の身体は頭がいい」!〉と発すると、〈 そうだよ内田樹は武道家だから身体についてもすごいよ〉と彼女は応じた。

入り口はふたつあるが、ここからが気持ちよい。表現者落合恵子、「No Nukes」と意思表示。広くはないのだが、テラスの快適な空間がある。落合恵子氏にも出会えた。「通販生活」とつながってしまう。