日差しがじりじり強い日の強い風を、「風が強い」とは言わないだろう。なぜなら風に心地よさがある。〈風がある〉は涼感を伴う。日傘をさしていても、熱が下から上がって来る感じはあるが、〈風がある〉の言葉を選び取った自分への心地好さもわずかながらある。不思議なことに穏やかさもついてくる。
それは、強い日差しが故郷のお盆とつながるからかもしれない。お盆は小さいころの祖父母につながり、結果として自分の内側の穏やかな脈に還らせてくれる。
東京に戻って来て朝の合唱は今日が初めて。ソプラノの人数が多い朝はリラックスして歌える、久々で新鮮、そして朝から歌えるとはなんと贅沢、とも思う。
「お母様は大丈夫でしたか?」のメールに気づいたのは、午後2時頃。合唱のあとの楽しいお昼が終わって帰り道でのこと。地震?九州で?母はデイサービスの日、と安心してネット検索してみる。阿久根市は震度3、でも原発がある隣の薩摩川内市は4とある。
桜島もあるのに、なぜ原発なのか。空言、虚言まかり通る。
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