変化するにちにち

ヴェルディ「レクイエム」(3) 指揮者合わせ

小ホールで9時半まで。前に背の高いテノールの人たちがびっしり並び、指揮も見えないところが多かった。見えなくても気で感じられるけど、気持ちが安定しない、右、左、見える位置にずれたりしながらだった。ところどころ大きな笑いも入りながら。

指揮者の指示を書き取るのに必死だったけど、これを至福と言わず何と形容?Lacrymosaのところでは、「イタリア人の子どもは、ヴェルディを知らなくても、これを聞いたら、お葬式なのだとわかる」のだという。棺を引っ張って歩いて行くような重さがあるのだと。ネイティブならではの話だ。

フルボイスで歌わず、声帯を本番に備えるために少し抑えるが、高揚感もあって抑えるのも大変。イタリアの国民性だろうか、緩急、大小、表情の差まで大きいと感じる、否、マエストロの器かと思う。去年10月の初対面の時ほどには驚かないが、それにしても、コミュニケーションとしての身体表現、こういう機会を持ち得たことただけでも豊饒。

明日、明後日はオーケストラ合わせだ。