変化するにちにち

影と向き合う

介護支援の市の調査員?の方が来る。手足もよく動く、足も驚くほど上がる。敏捷性はピカイチ!「ハイ!どこも悪いところはございまシェン!」と強がり見え見えで、よそ行きの言葉で答えたつもりが語尾が訛る。

「あいーだよ、だれだ!そいとでございごれ要らんとじゃっ!忙しかどごれ」(あーあ疲れた!そんな事でいらっしゃる必要はない!忙しいのに)と帰られたあとの母の毒舌。

古い橋を眺めて飽かず。
「見れど飽かぬかも」は魂振りとしての言葉であると白川静先生。実感。
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草刈りをしてくれてあるので下りていってみる。
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花だけでなく嫩葉も出ている。蕾もふくらんでいるように見える。
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上の橋も古いがこれも小学生のころはまだなかった。
この下の橋を渡って通学していた。毎年台風で流されては新しい石になった。
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ありがとう、ありがとうで母が朝ごはんを食べはじめる。来てくれて有難い。味噌汁が、いも(サツマイモ)がおいしいと言う。

午後は診療所へ。インフルエンザの注射と月に一度の診察。認知症の貼り薬と血圧の薬をもらう。「わいがおってくれでよがった」(あなたが居てくれて良かった)と繰り返す。

前日の母の言葉も、今日の言葉も母の思いの一部分であると事実として受け入れる。村上春樹ではないが影があって光がある。

影があって光、これは放送大学教授であった亡き渡辺二郎先生の、20年前の?強烈な言葉だ。海面の輝きは海底の漆黒の闇に支えらていると。〈影だけのもの、光だけのものはない〉の意味だったと思う。言葉はやはり摩訶不思議。