白川静 先生@sizukashirakawaより抜粋しています。
9/30
*【暦】というのは、【厂】は山の崖のようなところ、そこに軍門がある。この軍門の形はわが国の鳥居の原形になるのですが、この両【禾】の形を軍門とか墓とか、神聖な場所の入口に立てる。これがどこを経由してきたのかわかりませんが、のちにわが国にきて鳥居の形となり、神社の前に据えられた。
*【還】死者の胸に【◯(環)】を加え、上に【目】を加えて、復活を祈ることを示す字。【還】とはこれによって生還することをいう。それで往還の意となる。
*靖国、靖国いうけれどね、人は戦争をどこまで知っておるのかね。ぼくは海軍工廠に学徒動員の生徒を引率していったが、航空母艦からグラマン、あれは太鼓たたくような音をして飛んでくる。すると海軍工廠の将校たちは域外に車で逃走する。生徒が怒って道をふさいだところを、掃射されて教え子が死んだ。
*春秋に義戦なしという。春秋時代には多くの戦争があって、彼らは正しいと主張して戦争をやった。だけどもわずかのちの孟子が、春秋の歴史において、およそ正義の戦いというものはないと喝破している。
*【×】は、凶悪、兇懼の記号であるが、同様にその凶悪、兇懼を祓う呪禁としての機能をもつものであった。たとえば死者の霊を安んじ、邪霊の憑依することを防ぐ呪禁としても、この記号は極めて有効であった。それで同じく死者の胸部に鮮やかな朱をもって【×】を加えることがある。それが【文】である。
9/26
学問をする以上は、単なる紹介というようなものであってはならん。単に自分が理解し咀嚼するということで終わるものであってはならん。そこから何らかの意味において、新たなものを生み出し、そしてその源泉に向かってそれを寄与するというものでなくてならん。
9/24
アラカワシズカとシラカワシズカは一字違いや。しかし、むこうはすーっと滑って世界一になったのに、こちらは孜々何十年もやってきてまだまだやからなあ。それにしても金メダルでよかった。
*生きるための精妙を極めた智慧、種族保存の方法など、みな神わざならぬものはない。これらはみな、神が与えたものにちがいない。しかし神がそれを与えるのは、こちらから【乞う】たからである。求めてしかして与えられたものである。求めて、しかして与えられたもの、これを【命(めい)】という。
9/23
許慎の誤りは、古を解するに今を以てするというところにあった。古代文字の世界に導入することを拒むものは、常にこの「今を以て古を解する」という誤った方法にある。もし「古を以て古を解する」という方法論的用意を以て臨むならば、古代の世界は整然として目前にその躍動する姿態を現わすであろう。
*詩の様式をかりに悲歌と叙事詩という対比としてみるとき、辞はその悲歌的なものとすることができよう。それは不幸の文学であり、その不幸を肯定し、それを避けることよりも、むしろそれに向かうことを自らの運命とする文学である。屈原の徒が伝える『楚辞』の文学は、まさにそのようなものであった。
9/18
*ことばは手段にすぎない。しかしその手段にすぎないことばをはなれて、道を説くことができるであろうか。無限定なる道を説くには、概念の限定をこえなければならない。その概念を拒否する表現の手段が、寓言である。虚のみが、実をあらわしうるのである。
9/15
*足が直接に地にふれるということが、地霊との交渉を可能にする。そしてそのことばが律動をもつように、足の動きも舞踊的となる。わが国では反閇とよばれる形式がそれにあたる。これが舞うことの起源であった。
9/13
*衣服は、人の魂を包むものであった。人が生まれると産衣を用いて霊を守り、別れるときには紐を結びあい、死を送るときにはふたたび解くことのない卒衣の紐を結んだ。故人を思うときにも衣をかけてしのんだものである。初生の儀礼や喪葬に関する儀礼の字が、多く衣を要素としているのはそのためである。
*最も恐ろしいものは、原子力発電の跡始末である。
9/11
*白川静文字講話 http://shirakawashizukamojikouwa.com/ 白川静先生88歳から94歳に到る渾身の連続講演。
*【結(むすぶ・しめる)】【吉】にとじこめる意があり【結ぶ】ということも、そこにある力をとじこめる意味をもつものであった。[説文]に「締むるなり」とあって締結の意。紐を結び合うことは、古代の歌謡では愛情を約する行為として歌われており、後世にも結不解・結綢繆のような呪飾が喜ばれた。
9/6
*学問の世界でも、忠実な紹述者ばかりでは、何ごとにも発展はない。論難答問があって、はじめて展開がある。その論難答問を認めないような、権威主義の横行を許してはならない。【狂】とは、まずそのような権威を否定する精神である。そしてその否定を通じて、新しい発展をもたらす理性が生まれる。
*かつて東洋は、一つの理念に生きた。東洋的というのは、力よりも徳を、外よりも内を、争うことよりも和を、自然を外的な物質と見ず、人と同じ次元の生命体として見る精神である。
9/1
*写しているうちに『この形は、この時代の人がこういう意識を持ってこういう形を与えたのだな』というふうに、字の形の意味が手を通じてわかるのです。頭でわかるのではなくて、体でわかってくる。
*ことばは単なる音声やその連続ではなく、実体をもつ。神の名をよぶことは神をそこに招くことであり、死者の名を口にするときは、その霊をよぶ危険があるとされた。「ことだまの幸(さき)はふ」というのは、ひとりわが国の古代のみではなく、ことばの発達の過程にみられる一般的な事実である。