白川静先生のツイッター@sizukashirakawaより抜粋して転載しています。
8/31
*ねがわくは【平】も【成】も、その字の初義のままに、【平】は手斧の素朴さを、【成】は神かけて祈るつつましさを、いつまでも保ちつづけてほしい。これらの字を、再び戦争のための字に用いることのないようにねがうのである(平成元年八月・新元号雑感)
*【命】は【いのち】とよみ【生の霊(いのち)】の意であろうとされている。【い】に【生き・息吹き】の意があって、絶えず燃焼して自らを充足し、発展し、変化し、創造する働きのあるものをいう。
8/30
*【ち(風)】激しく吹く風。風をまた【て】とも【ぜ】【し】ともいう。【東風(こち)】【疾風(はやて)】のほか【風】【山風(やまぜ)】【まぜ】【南島風(いなさ)】【嵐】などみなその系統の語である。【霊(ち・し・つ)】とも関係があり、それは自然の生命の息吹きそのものであると考えられた。
8/24
*国語の【かたる】は、ことばによって構成して形を与えることで、これによって心を晴らすことを【語り放(さ)く】という。【語り放く】は【話す】に相当する語で【話す】は【放す】の意であろう。
*国語では愛を【かなし】と訓みます。【かなし】とは、自分の心がむこうの方に行きついて、行き届くようにというような、思いやる気持ちをいうのです。【思いかねる】は、相手の心の上に自分の心が重なっていくというような、その【兼ねる】の意味が【かなし】の語源であるという国語学者の説があります
8/23
*わが国では太陽の光を【靈(ひ)】としたが、中国の古代文字では霊は雨を求める儀礼であった。生産に及ぼすそれぞれの自然条件が異なることから、陽光を主とするものと、霊雨を主とするものとに分かれるのである。
*歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに起源している。そのころ、人びとはなお自由に神と交通することができた。そして神との間を媒介するものとして、ことばのもつ呪能が信じられていたのである。ことだまの信仰はそういう時代に生まれた。
*【まつ(松)】は神を待つ木の意であろうかとされ、祭事に松迎えの俗があって、【松】を山から迎える神にみたてて「お松さま」ともいう。【祭】も待つ意から出たとする説がある。【待つ】とは神聖なものの出現を期待し、それに奉仕することを意味する語のようである。
8/21
*周の時代になりますと、王室の后は必ず川べりに機織殿(はたおりどの)を作って、その周辺に桑を育てて蚕を飼います。その習俗は今もわが国の皇室に受け継がれているのです。三千数百年にわたって、そういう親蚕(しんさん)の礼というものが行なわれている。
8/19
*儀礼を行なうときには、その土主に酒をそそいで地霊をよび興し、その後に儀礼を行なった。[周礼]に「小祭祀には則ち興舞せず」とはその儀礼をいう。[詩]において【興】とよばれる発想法も、もとそのようにして地霊によびかける辞をいう。わが国の序詞や枕詞と、その起原的な発想の近いものである。
8/18
*【命】は【いのち】とよみ【生の霊(いのち)】の意であろうとされている。【い】に【生き・息吹き】の意があって絶えず燃焼して自らを充足し、発展し、変化し創造する働きのあるものをいう。
8/17
【音なひ】のように、心の深いところからとどめがたい力を以てあらわれてくるものを【意】という。
*日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。
8/8
*喜びも悲しみも、ときには尽きがたい悔恨をもって、人は過去を背負う。そのような過去との対話の上に現在があり、また未来に連なる。そのひたすらに過去に向かうものが【懐ふ】であり、いくらか未来に連なるものが【憶ふ】である。
8/4
*動物たちがその神性を棄て、愚かしい人間の知恵をもって動くこと、神的なものの媒介ではなく、人間的なものを媒介として、人間を見ること、人間を批判すること、そのありかたを否定するところに、寓話が成立する。寓話は古代専制者への批判として、それへの抵抗として生まれた。
8/2
*【ささやく(囁・喭)】四段。【ささ】は【そそ】。のちの歌詞に「そそや秋風」「ささら萩」などとみえるもので、もとかすかにもののふれあう音の擬態語。神のお告げはすべてそのようにかすかな音で示されるので【音づれ】という