どうしても行きたかった。オリンピックに浮かれて今年は八月の静かな時のなかで振り返る、祖父母とともに在るような体感というものを持ち得ずにいた。
明日は終戦記念日で人も多いだろうからどうしても今日行きたかった。
この径に入った途端、法師蝉が(家の周りではまだなのに)鳴いている、去年もそうだった。戦死者と法師蝉が容易に結びついてやり場のない思いが湧く。伯父の戦死に対する思いも年々深くなる気がする。故郷に帰るたびに母が、祖母の悲しみようを、「あんさん(兄さん)」(と母は言う)の思い出話を繰り返し語っているせいかも知れない。
⬇️去年と同じように、お堀に傾いている桜の幹を潜り潜り行く。つっかえ棒でとめてある。
⬇️入口。ここに来ると、ああ来たと思う、心がより静かになって…。
今日は夜「新宗教者の……」(あまりよく見なかった)の法要があるらしい。人が多かった。でも来て良かった。白菊、黄菊もいっぱい置いてある。黄色を100円入れて買って伯父に手向ける。
八月は、広島、長崎のことを経てお盆と続く。どうしてもお墓に行きたくなる。お墓はないので千鳥ケ淵へ行きたくなる。東京に住むわたしの自己確認、鮭が生まれた川に戻るようなもの、理由は要らないのかも知れない。
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