変化するにちにち

振り返る

日常の何気ない母の言葉が、死について生について考させてくれる。兄弟をはじめ成長して薄くなった人たちとのつながりを少し濃くしてくれる。九三歳の母が存在しているだけで、もの思わされる。

好日大会でいただいた米田登先生の歌集『思惟還流』を読んでは眠りして新幹線のなか。賜り物のような一首に出逢う。

◯ 病む日よりいきいきと存在しはじめし父をかなしと妻に告げぬに
『思惟還流』より

「必要なときに必要な言葉が飛び込む」。

7時頃東京駅に着いて東西線に乗り換え。いつもなら切って切って切りまくって(そんな気持ち)歩く。周りは人というより、単なる景色のような。

今回は自然のなかにまだカラダがあるのか、少しずつ周囲と、歩く人たちの気のようなものを感じながら、あ、溶け合っている、なんだか気持ち良い、と感じながら東西線の大手町駅まで歩く。

カラダがより自然に近づいている、人間本来に近づいている感じ。今までそんな感覚はなかった。