変化するにちにち

避難している方たちへ、「頑張って」「頑張らないで」どちらも言えない

避難していることがすでに、十分に頑張っていることなのだ。だから「頑張って」とは言えない。ならば、「頑張らなくてもいい」は……、こちらも言えない。「頑張って」も「頑張らないくてもいいよ」のどちらも言えない。大切な方を亡くされた方もある。

車に避難している同級生がいる。
彼が何回か東京に来たときに開いた同窓会で、習い始めたというオカリナを吹いていた。上手下手ではなく、オカリナと一体になって、ただ気持ち良さそうだった。

今、オカリナを持っているだろうか。吹く余裕はないだろうか、あるだろうか。周りへの気遣いで、気遣いでなくとも、こんなときに吹いている場合ではない、吹けないと感じているだろうか。

個人の思いとして一回でも、数秒でも手にして吹いてくれたらと切に願う。吹けなくても、オカリナの、土から生まれた柔らかな形、それに触れているだけでも、もしかして心のどこかが変化するかもしれない。泣けてしまうかも知れない。自然に涙が出てしまうのなら頑張って止めることをしないでほしい。

こんな時だからこそ(というのは何も分かっていないからかも知れないが)、現場にいない者が、祈りにも似た気持ちでいるときに、ふっと浮かんだオカリナ。一瞬でも手にとって、何かを感じて欲しいとただただ願う。

誠意をもって言葉にしたつもりでも、誰かを傷つけてしまうかも知れない…。
無力感ときれいごとの罪悪感をまとい、迷いに迷ったが、それでもとの思い…。