変化するにちにち

「届く言葉」永田和宏の語り口(2)

実はこのとき、もっと心を動かされたことがある。ほかの人には何でもないことかも知れないけど、でもわたしにはそのときの永田氏の思いが、どんと飛んできた。美しい! と、ぐさり刺さった。

それは、氏が、「まだ沖縄を詠えていない」「自分のなかの二重性を、いまわたし自身は処理しきれていない」「結論を出せない」と苦しそうに(聞いているほうも同期してしまって、苦しかった)言葉を発するなかでの次の一言、「『吉川さん、いっかい二人で沖縄に行って辺野古の前で座り込みしようか』 と話したんです… 」というものだった(「吉川さん」とは、この日のパネルディスカッションの司会者、吉川宏志氏で塔短歌会の主宰者、前主宰者は永田和宏氏)。

手に持っていたものを落としてしまったかのように、思わず落ちてしまった言葉。わたしにはそういう風に感じ取れた。ぽとりとこぼれ落ちた思い、と受け取れた。条件反射的に、美しい!と感じた。

いつもだったら素通りしてしまうような言葉だ。だがこのとき、「いつも」でないもの、濃い思いの何かが、ドンと来た。美しい!と響いた。この今の自身の状況をなんとか打開すべく、「沖縄に行こうか」と言ってしまう師、師の思いのすべてを受けとって、弟子が了解している、この師弟の呼吸、信頼関係が美しい。泣けそうだった。

なにかとても大切、温かいな贈り物をいただいたように、寒い日だったが、その温もりを抱いて帰った。

今まで内面で絶えず渦巻いて、なかなか沈静化せず、書けず落ち着かなかった。いま言葉にして(いちおう) 、今日からまた、澤選手のサッカー決勝戦を、浅田真央を、昨日までとは違い、すっきりとまではいかなくても、少し軽くなった身体で応援できる。

お読みくださってありがとうございました。