李白の詩が突然に来た。
昨夜、肌寒く目覚めると部屋に月の光が差し込んでいる。西の空に月。条件反射のように李白の詩がある。ああこのように静かで寂しいのかと、李白の心境を体感。
これも「中文小学」で小学生と一緒に暗誦させられたものだ。有名すぎて好きではなかった。下の詩の()内は日本に定着している詩(第一句と第三句が違います)です。『漢詩一日一首』(一海知義著、平凡社)より
静夜思
李白
床前明月光 *(床前看月光)
床前(しょうぜん)月光を見る
疑是地上霜 *(疑是地上霜)
疑うらくは是れ地上の霜かと
举头望明月 *(挙頭望山月)
頭(こうべ)を挙げて山月を望み
低头思故乡 *(低頭思故郷)
頭を低(た)れて故郷を思う
日本と中国で、なぜ異なってしまったのだろう?中国語には「明月」が二つあるけど、いいの?と言ってしまいそう。
一海氏は「コンパクトな漢語を、過不足のない訳語に定着させるのは、実にむつかしい。詩の原意を、説明的でないことばで過不足なく伝えるのは、実に容易ではない。」と言って、詩の第二句の、三人の訳を挙げている。
「ふと地におりた霜かとおもった」(武部利男)、「うたがいぬ 霜かと」(土岐善麿)、「霜カトオモフイイ月アカリ」(井伏鱒二)
ついでに言えば、井伏鱒二訳も「サヨナラダケガジンセイダ」の域に達していない。
「挙頭(ju tou)」と「低頭(di tou)」の対照、ここがいちばん好きなところだ。波が高まるような息の運びから、一気にうなだれるように音が変化して「故郷」で静まる。言葉が、四声の高低と相俟って波打つメロディーになる。
我流であるけど、これを日本語の「頭(こうべ)を挙げて」「頭を低れて」にすると、意味としては的確だとしても、ぷちぷち切れて騒がしくなる。
⬆️农村读物出版社『娃娃读古诗』(農村読物出版社『子どもが読む古詩』)
雰囲気がないなぁ。私が習った「中文小学」の本は「こんまり流」の片付けで、捨ててしまったらしい。身に覚えなくて探すのだが、出てこない……。
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