変化するにちにち

川越市の帯津三敬病院へ

身体に違和感がある、いつもと違う。五木寛之氏の言う「早期で発見されて切り貼りされるより、末期癌で発見されてそのまま手術せずに死を迎えるというのが理想」ではあるが、まだ母が生きている、母より先にはなんとしても避けたい。

新宿にも病院は多いけど、もう10年以上前から帯津良一先生の呼吸の本や死生観、カルチャーセンターでの話を聞いて、いざという時は先生のところでと勝手に決めていた。

ホームページが更新されたようで、電話で問い合わせたことと違う…、どうしよう…、今日か明日かそれとも行かない…と逡巡。新聞の運勢欄でも見てみよう。東京新聞の運勢欄は知る人ぞ知る名文で、その内容よりも言葉を楽しむために読む人が多いと聞く。

「気構えあれば寒村僻地も妙境なり。本日大心あって難も通過する。」

仰天!私のために書いてくださった?わが法名「大心」まである。まさに「行け!」と言っている。

予約なしだがなんとかなる!こういう時は(いつもだけど)自分優先、駄目なら明日また行けば良い、先ずは今日!

ああ、こういうような病院に来たかったんだと感じさせる雰囲気、「病院の”場”」の空気は聞きしに勝るもので、最後まで何の不安もなく、それ以上に心穏やかに終わる。

後で調べてみるとすごい先生に見ていただいたことが分かる!「他の病院には行きたくないんです」と口を滑らせたアホなこともカルテに書かれたような気がする。「先生そこまで書くんですか」とは初対面だし、口が裂けても言えなかったけど。

それって治療に役立つ?   いやいや条件反射のように嬉しくなった。なぜ嬉しかったのかしばらく分からなかったが、これが共振の感動なのだと今思う。