13日サッカーを見終わって買い物へ
ジーンズを折り曲げて、その上にスカートを履けば濡れても気持ち悪いほどにはならないようにして出で立つ。
山の気に圧倒される。帯津先生の歩く呼吸法、三歩吐いて四歩目に吸気、でも集中できない、それより周りの山の眺めを楽しむに限る。途中木が鬱蒼として怖い所もあるが旧い道を行く。歩く人はいないだろうから車が通らなくなればすぐにでも野と化してしまいそう、道のひび割れから元気そうに草が伸びている。iPadは置いてきた、さもないと写真を撮りたくなってしまう。
雨もまた楽し!途中、傘をさして立ち話をしている利子おばんに会う。「まあー!戻ってきてくれたっじゃんね、わや、ゆしてくるんね(あなたは、良くしてくれるね)」といっぱい褒めてもらう。利子おばんは母の従姉妹、祖母たち6人姉妹の女系家族・大家族の一員で距離感は叔母同様。
雨ついでに道の駅まで行ってしまうことにした。野菜がとれたて!ごい(苦瓜)、とうもろこし、いんげん(量が多い、安い)。コーヒーもロースト仕立てを売っている、でも家にはコーヒーサーバーがないのでおいしく淹れられないと諦める、しかしこのまま帰るのは…、お店で飲むことにする。香りは良いがアメリカンよりも薄い、この倍でないとコーヒーの旨さが出ない…、でも空きっ腹だし、よそ者だし、これでもまいいかと…いただく。レストランのほか、大きいテーブルがいくつか置かれた休憩室もある、海を眺めながら本が読むのに良さそう。
いつものお団子を買おうとしたが無い、もう売らないのだという、「本店がすぐ近くにありますのでそちらで…」、聞くと一駅先のさらに先、これが「すぐ近く」かぁ、地元の人もみんな車で移動するからなぁ…。
帰り道は新道を行く。発見あり。山には煙のようにあちこち、靄か雲か、境い目は?しかし雲と同じように靄?も流れている。いい眺め、いい眺めと自分の故郷をいっぱい褒める。あの山、峠を越えると祖父の家がある。こまんかころ(小さい頃)汽車が行ってしまった直後を見はからって、トンネルを何度も通り(かなりの近道になる)祖父の家やその先の海に遊びに行った。
トンネルの中でディーゼル車にあう
海に行くため子どもだけで(上村、下村合わせて10人以上いたような)トンネルを通ったことがある、トンネル内で汽車の音がした、隠れろ!と皆壁にピッタリくっついた、ディーゼル車だったらしい。出てびっくり!互いに笑いあった!鼻がみな真っ黒なのだ。トンネルの壁(煤だらけ)にぴったり張りついた時に付いたのだ。「もし蒸気機関車だったら死んどったど!」と大人たちが言っていた。「もう通ってはいけない」とは言わなかった、大人たちもトンネルを通っていた。私は、祖父の畑を手伝いに行く母と度々通った。
特急「はやぶさ」を停めた
面白がることではないが、祖父は線路を歩き特急「はやぶさ」を2回ほど停めたと母から聞いた、祖父が生きている時に聞いた。線路坑夫には「ご苦労さんです」と挨拶して堂々と?通っていたという。のどかな昔を思い出し、いっぱい思い出し、峠のある山を見ながら帰ってきた。
道の駅までゆっくり歩いて片道40分ほど、旧い道、新しい道からの眺め、これもまた命の洗濯!