変化するにちにち

「村上春樹さん、村上文学を語る」

河合隼雄が「在る」
東京新聞(4/22)の村上春樹の言葉に河合隼雄がいる。1995年に村上が対談した当時の河合隼雄が「音なひ」としてそこに「在る」感覚に近い。

小見出しは「神話と個人の物語は重なる」「本当に怒り、本当に悲しむことで再生」「お互いきちんと結びついて」、これを見た途端、《うわー、河合隼雄がいるー!》と直射された感覚。読んでいくと靄のように彼が立ちのぼる、少なくとも私にはそのように感じられる。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)
先週ブックオフで買ったばかりの本、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』をちょうど読んでいたからでもあろう。1995年の対談で、二人の一言一言が深く重くずしんずしんと来すぎて、ため息混じりで付き合っていたら朝刊に現れた!

「共時性」
河合隼雄なら「偶然」ではなく、「共時性」と言うだろう。だから驚いたり喜んだりせず、「こんなことも有り」と静かに味わえばいいのだろうけど……。

対談当時、村上が繰り返し発した「コミットメント」「欠落」「病む」等が、より成熟した形で表現されていて、河合隼雄の息を感じる。「死は終わりではない」という彼がここに生きている。

本について言えばもうひとつ、村上春樹は「欠落を埋められるのは自分自身でしかない」と言う。
羽生結弦のところで書いた「欠落を埋める」の認識…、は甘かった。