変化するにちにち, 歌う

読む前と後の身体は違う

身体についての本を読む理由を改めて考える
例えばいま夢中になっている本の著者、安田登。彼は能楽師であるほかに、公認ロルファー(米国のボディーワーク、ロルフィングの専門家)とある。能と米国のボディーワークを分かり易く結びつけて書いてあり、思わずガッテン!ガッテン!ガッテン!と押したくなり、彼の本がもっともっと読みたくなる。
内田樹は解説で(抜粋)「能楽師が、80~90歳になっても颯爽と舞っていられるのは、表層筋だけに頼らない独特の『所作』による」と言う。
今まで呼吸とともに体感してきたことの確認
これらを読むことは、今まで呼吸とともに体感してきたことの確認かも知れない。二三日前に書いた「骨盤横隔膜」については、仙骨を広げる、力士が四股を踏む、これらと繋がるだろう。「大腰筋」(巷で言われている「体幹」?)を活性化させることについては、米山文明先生の「呼吸と発声研究所」で毎回、体を作るときに行う最初のワーク「脚づくり」などがそれに関わっていると思う。

「自らを解放するための呼吸よ!」
とおっしゃる米山章子先生(章子先生は前から拝見すると60代に、後ろからは、セーラー服も着られます、きっと!)の溌剌とした若々しさ、まっすぐ自然な立ち姿は呼吸によるものであろう。渋谷のATT(アーテーテー)「呼吸と発声研究所」に通いはじめてもうすぐ4年。呼吸によって解放されるという体感はあるが、歌ももちろん上手くなりたい。押すような頑張る呼吸ではなく脊柱を上がるような息を感じながら歌えたら….といつも思っている。最近、この脊柱を上がるような気持の好い声とそうでない声の違いが分かるようになった(言ってしまって少しでも近づくより外にわが道なし!)。

「一度でも体感、イメージできたら必ずそうなります」
との内田樹の言葉はわが宝物。あっ!と思った瞬間はハッキリ覚えている。先月、吉川具仁子(きっかわくにこ)の第一声を聞いたとき、この声こそ本物と感じた。まさに彼女の身体の骨の震えを私は受け取った(と今でも確信している)。
そういえば章子先生も「一回でもできたらそれが二回三回に増えてできるということよ」とおっしゃる。

自分への信頼につながり、楽に生きられることにつながる
ATTでは片足をやったら一旦止まって左右の違いを感じるという事を必ずする(このようなことを地道に続けてこそ体感力は養われるとは文明先生の言葉)。大腰筋を活性化する方法を一つ、試しに片足ずつやってみた。ATTの「脚づくり」の体感と同じ。これはもう自分のものだ。体感できることが多くなれば、動物的な直感力も増すと内田先生の言葉に確かあった。
ジタバタせぬ身体に近づくこと
身体を確認しながらの生活は自分への信頼につながり、楽に生きられることにつながる。そしてそれは何か大変な事が起こったときに動じるのを最小限に抑え、ジタバタせぬ身体に近づくことであろう(この言葉は借りものかもしれないが実感としてある)。

読む前の身体と、読んだ後の身体は違う
それは昨日の私と今日は違うということだろうし、日々変化する自己確認は人の根源的欲求で贅沢で豊かなことではなかろうか。身体についてもっと知りたい一心で借りに行って、結果は生きることにつながっている。今フッと湧いた言葉「醍醐味」。そうです、身体についての本の醍醐味はここです。そしてもう一つ、いつもいつも書いては消し、書いては消ししてそれでも、否違うと、言葉が自分の想いから離れることを戒めて書いて、書き終わってそこに、わずかでも変化した自分がある(に違いない)。これもまた醍醐味に他ならない。

読んで理屈のみを取り入れることとはハッキリ違う
ここを押さえなければ前に進めない気がした、書き終えてまた一歩踏み出せるの感あり。

嬉しいのは毎日どなたかがお読みくださっているということ
心よりお礼申し上げます
ありがとうございます