変化するにちにち, 歌う

南沢コーラス演奏会(S:吉原圭子,T:中嶋克彦,B:与那城敬)終えて

❗️それにしてもソリストの方たちが魅力的であった❗️

昨日の余韻の中での散歩、景色が違って見える別世界
桜にはまだ少し枯れ葉が残っている。桜の樹液は、葉を全て落としきった12月に取ると最も色濃く染め上がると志村ふくみさんの言葉を読んだことがある。葉を落として咲くためのエネルギーを溜め込むのだろうか。

三時過ぎに出たのに夕暮の濃い光。それを浴びている樹々に残る葉。生きている実感を味わう。

そういえば97歳で亡くなった歌(短歌)の友は旧字体の櫻こそ〈さくら〉であると言っていた。貝が二つある字に私はふるさとで拾った桜貝を思い出す。

平和だなぁ
公園ではサッカー、野球をやってる人が多い、散歩やボール蹴りしている親子、学生のサークル仲間?踊っているる人たちもいて楽しそう。

平和であると感じる。今朝、新聞で(わが敬愛してやまぬ)内田樹(たつる)の『街場の戦争論』の紹介記事を読んだばかりだから余計にそのように思えるのだろう。このような日常がじわりじわりと、または一瞬に壊れるのが〈戦争〉だろうか。

戦争は知らないが時折ふっと不安を皮膚感覚として感じることがある。単純な不安よりちょっと質の違う、恐怖とは言えないまでもやや強い不安感に襲われる事がある。杞憂であれば良いが。平和であればこその演奏会である。

静謐な高揚感
昨日の演奏会の余韻が心地好い、静謐とでも言えようか。昨日の賜物だ。早稲田のユニカフェに来てオープンエアーのテーブルで飲むチャイは好きだ。この雰囲気、ここでたっぷり本を読んだり、今日はこのブログを書いている。

本番に強い云々の問題ではなく…
昨日の打ち上げでの話として〈前日のオケ合わせではどうなる事かと思った…〉との言葉の通り、最後の最後まで駄目出しがあった。

場のダイナミズム?か本番は観客の呼吸を感じそれをまた客席が受け取るという呼応の相乗効果であると思う。一体となって出来あがる場の雰囲気を共有する空気があった。この空気感はたまらない!

能舞台でも観客は役者の呼吸に合わせると醍醐味を味わえるのだという。

「更上一層楼」
演奏会にはこちらがお願いする前に連絡して下さる方もいらっしゃる。月並みであるが有難く、そして人のココロネの奥深さも感じさせてくださる私の子供のような年代の方もいらっしゃる。

前回のスターバト・マーテルからもう一段階ステップアップしたような感覚を得て、また更なる上を目指したい。誰の漢詩かは憶えていないが「更上一層楼」というところ。呼吸の奥深さ不可思議をより體感できるようになりたい。

聞きに来てくださった方々、ほんとうにありがとうございました❗️感謝❗️です